楽しい時間はあっという間に過ぎる
8月も今週で終わりになります。
学校に行かなくて良い、夏休みという一大夏フェスが終わりを告げようとしています。
夏休みの定義が変わる大人にはあまり関係ないのですが・・・。
お父さん、お母さんをはじめ一家を巻き込んでの夏休み最後の「宿題」追い込みが最終局面を迎えているのではないでしょうか。
販売されている宿題
今やビジネスとしても成り立っている「子どもの宿題を売る・買う」という行為がこの時期再びクローズアップされています。
宿題を代行を専門にしている業者に発注したり、過去に作った夏休みの宿題や読書感想文をメルカリなどのフリマアプリで出品する、などその手法は様々です。
夏休みも塾に通っている為、時間が無くて宿題が出来ない。という理由を聞いた事がありますが、
それは子どもの為になっているのでしょうか?
大事なお受験が控えているということであれば、致し方ない道なのかもしれません。
個人的にはそこまでして宿題を提出する必要があるのか?とも思います。
宿題を提出できなかったことで、先生に怒られた苦い経験をしたからもしれませんが、
宿題は学校から提出された「約束を守れるか?」という試練のような気がします。
まぁ、数十年経った今にして思えば、という話ではありますけども・・・。
宿題の定義とは?
宿題の定義とは、ウィキペディアなどで見て頂くとわかりますが、
「教師から生徒に対する自己学習の課題」のことを指しています。
自己学習の方法も現在ではIT化を取り入れたり多種多様に変化していますが、
その根本的な部分は変わっていません。
一番大事な点は「問題に向き合い、自分で考えること」だと思います。
学校から提出された宿題に対して、「無駄に多い」「やる意味が無い」
という理由で「買う」という行為が、子どもの為になるのか今一度見直してほしいです。
宿題を進める上で「わからなかったら聞く・調べる」など、
子ども達が育っていく上で本当に必要なことではないでしょうか。
今ではGoogle大先生という一大ネットワーク辞書のような物もあるので、
「検索する(調べる)」という方法を学ぶ良い機会になるかもしれません。
ただし、有害な情報が出ないように子供用の検索フィルターをすることは必須です。
宿題は大人になってもやってくる
夏休みの宿題はお金で買えるかもしれませんが、
私達大人になっても出てくる「宿題」はお金だけでは解決できません。
※一部解決できるケースもあるかも?
その宿題とは、いわゆる会社から課せられる「仕事」であったりするわけですが、
「期限」もありますし、「問題点」「ノルマ」「予算」などもあるでしょう。
夏休みの宿題からちょっと離れた話題になってしまいましたが、
個人的な意見として「宿題をしない=仕事が出来ない人間になる」とまでは言えません。
もしかしたらそうした経験が生きて、何か新しいビジネスに発展する可能性だってありますから。
ただ、思い出や努力の大事さ、知的好奇心は買い与えるものではないのでは?
と感じています。
それぞれ種類があるので、一概に括るとおかしい点もあるかもしれません。
少し大きくなった時に振り返り、本人が「良い経験だった」と思えることを親としてはすべきだと私は考えています。
これも親の考えの押し付けになってしまうかもしれませんが、
どんな形にせよ「自分自身で成し遂げたこと」を提出してほしい気持ちでいっぱいになりました。
追い込まれた時の謎の集中力、ラスト1日の底力、見せつけてください!(少し投げやり気味)
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